100 YEARS  Histry of UOKUNI

1914 - 1952

鮮魚商から身を興した創業者・田所邦雄は、1914(大正3)年、わずか16歳で、大阪・三休橋の南詰(現・中央区東心斎橋)に仕出し弁当店「魚国商店」ののれんをあげました。店名「魚国」の「魚」は鮮魚商の「魚」から、「国」は邦雄の「邦」と同意語であるところから命名したといわれています。

お得意先が順調に増えていくなか、邦雄はあるお得意先からの要請をきっかけに、新たなビジネスモデルに挑戦します。それは、お得意先の食堂へ従業員を常駐させその厨房で調理するという画期的なもの。これが集団給食の始まりとなり、事業は拡大していきました。

太平洋戦争の勃発により経営は困難を極めますが、それでも魚国商店は、戦火のもとで働く人々に食事を提供し続けました。1945(昭和20)年にやむなく一旦休業するも、1950年、戦前からのお得意先との契約を手はじめに給食業を再開し復活を果たしました。さらに翌1951年には、料亭旅館「大乃や」を開業しました。

長きにわたってお客様との関係を築き上げてきたのは、「誠実さ」と「信用」、そして何よりも「お客様に喜んでいただきたい」という思い。創業者のお客様第一の理念は、今も受け継がれています。

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1953 - 1965

戦後の復興とともに、魚国の給食事業も活気を取り戻しつつありました。1953(昭和28)年7月、さらなる飛躍のため、それまでの個人商店から法人組織へと移行し、株式会社魚国を設立しました。社長には創業者田所邦雄の長男である田所忠夫が就任。

まだ社員も少なかったこのころ、田所忠夫社長は自ら営業に出かけ、大規模な製紙工場の社員食堂の給食を受託しました。3交代制の工場の実績はありませんでしたが、給食事業にかける若い社長の情熱が担当者の心を打ったのです。これが、会社設立後第1号の得意先になりました。

地元の大阪で力をつけた魚国は、高度経済成長を追い風に東京、名古屋、京都、北陸、三重などに次々と支店を開設。これらの支店はのちに独立して法人組織となり、各エリアで事業を拡大していきます。さらに、日本企業のプラント輸出に伴って、海外へも進出していきました。

こうして給食事業が順調に進むなか、魚国グループは給食関連事業への参入を進めます。食材の製造や仕入れを行う会社を設立したほか、レストラン経営もスタートしました。この時期、魚国グループは給食事業のネットワークを広げ、業容は大きく拡大したのです。

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1966 - 1976

魚国グループの事業の拡大とともに、系列会社が全国に拡がり、グループを統括する体制が必要になったことから、1966(昭和41)年、株式会社魚国は、株式会社魚国総本社と改称しました。

さらに社員の意思統一を図るため、1968(昭和43)年4月に、社是「努力・謙虚・共栄」および社訓を制定しました。

これは、創業者の田所邦雄が実践し、機会あるごとに社員に教示してきたものです。

1960年代後半から70年代初めにかけて、魚国グループはさらに全国展開を推進。四国、北海道、東北にそれぞれグループ会社を設立しました。

また、新たな「食」分野にも積極的に進出しました。カフェテリア方式の社員食堂の導入やゴルフ場レストランの経営のほか、学校や病院の給食事業にも参入。

当時は児童や入院患者への給食には規制があり、当初学校給食では大学・高校の学生や教職員向けの食堂、病院給食では職員食堂や外来用食堂を受託しました。

オイルショック以降、各企業が減量経営を強いられる中、魚国グループはレシピカードによる統一献立の整備などを通じて、業務の効率化に取り組みました。

また、流通センターの設置やコンピュータの導入を実施し、1976(昭和51)年9月には魚国総本社の新社屋「魚国ビル」を竣工。経営の近代化を進めていきました。

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1978 - 1992

1970年代半ば、日本経済はそれまでの高度成長から安定成長へと移行しました。

こうしたなか、魚国総本社では1978年に田所忠夫社長が就任。新社長のもと、CI(コーポレート・アイデンティティ)を導入して社章やシンボルマークを一新し、新たなスタートを切りました。

1984年、魚国創業70周年を迎えます。事業規模は、売上高375億円、国内の事業所数1,069ヵ所、海外の事業所17ヵ国43ヵ所で、従業員数は6,850人になっていました。

その2年後、創業者の田所邦雄会長が逝去。享年88歳、集団給食一筋に歩んだ人生でした。

魚国グループは更に拡大を続け、九州魚国や滋賀魚国を設立したほか、海外のレストラン市場へも進出。アメリカ、ヨーロッパなどでレストランを運営しました。

給食事業では、病院給食や老人福祉施設の給食の受託に力を注ぎました。

1980年代後半から、内需拡大による好景気が訪れます。”空腹を満たす食事”から”満足を高める食事”へと給食の意義が大きく変化するなか、メニューやサービスに至るまで給食への新しいアプローチを始めます。

名古屋と大阪にセントラルキッチンを開設し、集中調理による作業の効率化やレシピメニューの統一化を図りました。また、お客様第一主義を一層推進するべく、人材育成のための教育研修にも積極的に取り組みました。

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